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ダメ犬グー

070727_1809~02.jpg

届きました。
小説とかそういう堅苦しい形式の本ではなくて絵日記のような感じなので、30分もあれば全部読めちゃいました。
結果、案の定めちゃくちゃ泣いてしまいましたが。
犬が大好きな人はもちろん、犬(というかペット)を飼っている人、過去に飼っていた人はこの本は涙無しには読めないと思います。
とても良い本を手にする事が出来ました。


長いので詳細な感想は下を。
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ふじー * 書き留める * 03:27 * comments(4) * -

「一本のレギュラーより一回の伝説」

あー、「(仮日記)」未満の下書きで止まってる日記が溜まってきたなぁ。
こっそり昔のを書き足したりしていってるけどちっとも追いつかないぞ。
まあいっか。そのうち書く。


それはいいとして、今さらながら江頭2:50は本当にすごい芸人だと思う。
人によって好き嫌いがあるのは仕方ないかもしれないけど、あれだけ自分の美学を貫き通す芸人はなかなかいない。
今日は映画で「ラストサムライ」をやっていたが、侍が己の生きる道として武士道を常に心に持ちそれを貫き生きるように、江頭はいつもよく言っている『一本のレギュラーより一回の伝説』を己の道としてそれを実際に実行している。(ちょっと言い過ぎか)
wikipediaの江頭2:50の項にも色々と情報があるけど、それよりも検索してたまたま見つけた2chの「江頭2:50はグラインドコア」なるスレッド(タイトルがすごいな)の方が面白い事が書いてある。
その中には江頭が言ったとされる名言がいくつか出てて
『目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。
 そのためなら警察につかまってもいい。寿命が縮まってもいい 』

『俺のライブに来てるやつらの顔を見てると、
 結婚はおろか、恋愛もまともにできないんじゃないかって言うような奴らばっかり。
 だけど、俺はそういう奴らのためにこそお笑いをやりたい。 』

『生まれたときから目が見えない人に、
 空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?
 こんな簡単なことさえ言葉に出来ない。だから俺、もっと頑張るよ。 』

なんて言葉を言っていたらしい。
一般的には、江頭よりも「エンタの神様」に出る芸人達の方が好感度は遥かに高いんだろうけど、そんなエンタ芸人の中にこんな名言を残せる人がいるだろうか。
「嫌いな芸人ランキング」で毎年ブッチ切りで一位を取ろうと、「消える芸人ランキング」で毎年上位に入ろうと、それに反してコアなファンの数もかなりの多さであると思われる。
実際、mixiの江頭のコミュニティの参加人数は6800人を超えていて、ナインティナインのコミュニティ(5100人ちょい)よりも参加人数が多い。
江頭の良さ、面白さをちゃんと分かってる人は世の中にちゃんとたくさんいるんだな。

そんな江頭は今、「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」というネット番組をやっている。
これを見ると、暴れるだけではない普通の会話のやり取りを通して、江頭の素の真面目な人間性が時折垣間見れる気がする。
それに、真面目に映画を語る江頭がまたいつもと違った意味で面白い。
江頭相手になんとか上手く番組を進行させるこのもう一人の早川亜希という人もなかなかすごいな。

今は特にテレビのレギュラー番組もなく、「ぷっ」すまとめちゃイケとアメトークにたまに出るぐらいだけど、さらに5年10年先にはどうなってるんだろう。
今以上にたくさんテレビに出てるなんてことはないだろうけど、全く出ないなんて風にはならないで欲しいなぁ。
あ、でも何か「伝説」を残すような事をやらかしてそれでテレビに出れなくなってるんだったらそれは多いにアリだな。


って文章長いよ。



最後に、江頭とは関係ないけど映画で「ラストサムライ」を見てたら、自分が大好きな映画の一つであるブレイブハートが久しぶりに見たくなってきた。
ちなみに、その他に特に好きな映画は「パーフェクトワールド」「デッドマン・ウォーキング」です。
はい、別にどうでもいいですね。

ふじー * 書き留める * 23:59 * comments(2) * -

まじリスペクト

タイトルはふざけてるけど、今日は本当に父さんのことを尊敬した。
単なる自己満足の文章が延々と続くので、読んでも仕方ないかも。







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ふじー * 書き留める * 23:59 * comments(2) * -

あんぱんまん



誰でも当然のように知っているアンパンマンですが、最初に出てきた時は今とは違ってむしろ大人向きのお話で、表記も「あんぱんまん」だったそうな。
ちょっと気になったので調べてみた。あちこちの文章を抜粋して張り付けまくってるだけだけど、悪しからず。

で、その「あんぱんまん」は、画像のように顔もアンパンではなく普通の人間で、敵と戦う力なんて持たず、戦争で飢餓で苦しむ人にアンパンを配る『世界の飢餓を救うヒーロー』として描かれていた、とか。
都会の子供からは「アンパンなんていらない」と言われたり、他のヒーロー達から馬鹿にされたり、そんな目にあってもただただ苦しむ人を助けるためアンパンを配りに飛び回る、そんなヒーロー。
しかも、最後は軍から侵入者として撃ち落される、なんていうかなり無惨なことになってるそうな。
で、最後は『殺されたって死ぬものか』っていう文章で終わっているんだとさ。かなり凄い話だ。

この話を知った上であのアニメのアンパンマンの主題歌の歌詞を思い出すと、物凄く深い意味が込められてることがわかると思う。
「愛」っていうのは人を救いたいと思う気持ちで、「勇気」とはその為には自分の身の危険すら省みないこと。
本当に深い歌詞だ。

その「アンパンマンのマーチ」の歌詞やら、作者のやなせたかしがアンパンマンを書くまでの経緯なんかが述べた文章をまとめてある所があったので、興味がある人はこちらへどうぞ。
ふじー * 書き留める * 00:00 * comments(4) * -

lost

今日は朝一からスタジオ行って、ジョイントのギター練習してみた。
太田先生、浅野も一緒にいたけど、今思えば変な組み合わせだったな。
そして、浅野の新しい相方のWARHEADはかなりいい音してた。
初めて人のアンプが羨ましく思った。
ちなみに、ジョイントでやるCoccoの曲を弾いてたら、浅野にはシステムか何かの曲に聞こえたらしい。
まあ2音下げですし、そもそも俺の弾き方がどうにもメタル臭さが抜けませんし…。
本番は自分なりの感じが出せればいいな!


今日は、名工から歩いて名大まで行った。
さすがに暑い時間に歩いて行くもんじゃないな。
えっらい疲れた。ベタベタ。


途中、道の端で鳥が死んでいた。
それで、高2の時の事を思い出した。
帰り道が一緒の田中君と自転車で帰っておったのです。
で、たまたま道の真ん中で小鳥が倒れているのをたまたま自分が見つけました。
乗ってたのは自転車だったから普通はそんなの気付かないし、そもそも道で鳥が死んでいたってそれほど珍しい事ではない。
でもなんとなく気になって「ちょいちょい、今、鳥が倒れとらんかった?」と田中君を呼び止め、引き返してみてよく見てみると、まだ生きていました。
きっと、あのまま通り過ぎてたらすぐに車に踏まれていたと思う。
で、生きてはいるものの、どうも様子がおかしい。
「もしかしてやばくない?」ってことで、急遽、動物病院を探す事にした。
普通に生活してて、そんなに動物病院の位置なんて知るはずも無く、うろ覚えではあったものの唯一場所が分かりそうな所に向かった。
携帯を持っていれば、そんなの家に電話して聞けば一番近い所がどこかなんてすぐわかったけど、その頃はまだ携帯なんてみんな持ってる時じゃなかったし。
で、その覚えていた所っていうのが結構遠くて、しかも家への進行方向と逆方向。
でもひたすらそこへ向かった。
少し雨が降っていたけど二人とも着ていたカッパを脱いで、田中君の自転車の前のカゴにその二人分のカッパを敷き詰めて、衝撃を与えないようにしてそこに乗せていたんだけど、時間が経つに連れてほとんど動かなくなってきた。
さすったりしても反応がない。もの凄く心配になる。
病院に着いて中に入ると、それぞれ自分のペットを連れたお客さん(?)がたくさんいたけど、「あの、ちょっとすいません!」と、勝手に診察室に入って行って診てもらった。
でも、お医者さん曰く「ああ、もう死んじゃったみたいだね…。まだ雛みたいだし、多分巣から落ちたんだろうね。」って。
診察室から出てきて、待合室にいたおばちゃん達に事情を説明すると「偉いねえ。」と言われた。その時は「いや、普通だよ。」と思っていた。
そのおばちゃんたちの提案もあり、病院の外の花壇の隅にその小鳥を埋めさせてもらった。
さっきまでこの小鳥は生きていたのに、自分で掘った穴にその死んでしまった小鳥を埋めて、上から土をかぶせる時には何とも言えない気分になった。
その日その後に感じた事は、なんかわからないけどとにかく悔しい気持ちでいっぱいだった。
あれ以上の事はどうしようもなかったと思うし、出来る限りの事は十分したと思うのに、自己満足に浸ったりする訳も無く、ただただ助けられなかったのが悔しかった。
それから帰る途中に田中君も、「あんな所でそのまま死んで車に轢かれるよりは、まだ俺ら人の手の中で心配されながら最期を迎えたんだから、これで良かったよ。」とは言っていたけど、「でもなんか悔しいよね。」とも言っていた。
家に帰ってからも、いい事をした、なんていう感覚は殆どなかったように思う。ただ、悔しかった。
なんかわからないけど一人で泣いた気がする。

まあ、そんな事があった。
今までの人生の出来事で、印象に強く残っている事の一つだ。
で、なんで今日は通り過ぎちゃったのかな、と。
今日の場合は元々死んではいたものの、あんな道の端に放ったらかしにされている状態をなんとかしようと思わなかったのか。
せめて埋めてあげるぐらいの事はしてあげれば良かったんじゃないか。
通り過ぎてからいろいろと考えてしまった。
今考えれば、あの時はなかなかの行動力があったな。
後から考えれば、待合室でみんな待ってるのにその順番を無視して勝手に先に診察してもらってしまったこと(もしかしたら重病のペットを連れてきてて一刻も早く診てもらいたかった人もいたかもしれない)、診察してもらうってことは診察料だってとられるかもしれないってこと、色々気になるところはあるけど、勿論あの時はそんなこと微塵も頭をよぎらなかった。
「鳥を助けてあげたい」って気持ちだけで動いてた。
あれは、本当に今の俺と同じ“俺”だったのかな。疑いたくなる。
あの高2の時から7年近く経って、俺はなんか大事なもんをなくしちゃったんじゃないかな。そんな気がする。


そういえば、最近知らない人から道を聞かれる事がなくなった。
少し前まではやたら聞かれたのに。
ふじー * 書き留める * 19:24 * comments(0) * -

One Last Time

全身だるい。
みんなみたいに首の痛みはそれ程無いけど、なんかだるいっす。
且つ、ちょっと風邪気味。
本格的に風邪ひかなきゃいいんだけどな。


最近は常にデジカメを持ち歩いてて色々気に入ったものを撮ったりしてるけど、自分が目にしたものを形として残しておけるってのはすごくいいなって時々改めて思ったりする。
撮ってるのは専らライブのムービーばっかりやけど、それでもね。
ただ流れていくだけの日常であっても、それを形にして残せるって意味ではこの日記も同じ事が言えるな。
自分の体験した事であるにも関わらず、何か強烈に印象に残る出来事が無い限りはその日の記憶は徐々に自分の中から消えていってしまうんですよ。
だって、「去年の何月何日に何をしてた?」って聞かれてもまず答えられんしね。
せっかく一年には12ヶ月あって、一ヶ月には30日あって、どの一日も同じ『一日』としての価値があるんやから、どの一日でも後から思い出せるようにしておくのは凄く意味のある事やと思う。
こうして毎日を過ごしている自分がちゃんと存在しているのに、後になって思い返したら一ヶ月のうちたった数日のことしか思い出せないのでは、残りの大半を過ごした自分がなんか可哀想な気がする。
たとえそれがいい一日であっても、何もない一日であっても、思い出したくもないような悪い一日であっても、同じ『一日』なんやし、記憶から消えていってしまうのは勿体ない。
後になってからでは思い出すに足らないような一日であっても、その日の自分にとっては唯一の『現在』を、何らかの思考/行動を以て生きていた訳だし、そんな『とある日を生きた自分』が記憶の中に埋もれていってしまうのは、冷静に考えるとなんか…ねえ。
そう考えると、楽しかった自分でも、辛かった自分でも、その日を生きた自分の存在をちゃんと後からでも思い出してあげたいじゃんか。
だからどれだけ遅れようとも意地でも日記は続けている訳です。
要するに、自分にとって日記とは「『その日の自分』が『先の自分』に向かって、『今日の自分の存在』を主張する為の場所」ですかね。ちょっと大袈裟すぎるけど。
なんかこんな感じで、ありきたりな『大衆の中の自己の存在』とかではなくて、『自分の中の時の流れに於ける、現在の自分の存在』についてをテーマにしたら凄い曲とか作れそうやな。
めっちゃ複雑怪奇で難解な曲になるのは間違い無しやけど。


…ありゃ?こんなこと書くつもりじゃなかったんやけどな。
ただデジカメについて書くつもりやっただけやのに。
これを後で読み返したら「うわっ、自分気持ち悪っ!」とか思いそうな気がする。
どうも俺は深夜になると語りたがる癖があるみたいやわ。
深夜に考え事をすると、深く深くなっていっちまう。
でもまあ今日はこんな事を考えた『一日』ってことで。
ふじー * 書き留める * 02:21 * comments(0) * -

定演ビデオを見て…

そういや、定演ビデオのこととかまだ書いてなかったやね。
まあ、演奏がどうだったとかそういう話は別にどうでもいいんですよ。
そんなことより、もっと深い感想を。

見ていて、あの頃のことを思い出した。
今の所、自分の人生の中で一番幸せだったのはほぼ間違いなくあの頃だ。
全てにおいて自分的に充実していた気がする。
周りを取り巻く環境、自分の気持ち、毎日の充実感そういった全てがね。
なにより、自分を精一杯表現出来る場があったってのが大きいと思う。
自分のやりたいことを精一杯出来て、それに対して評価してくれる人がたくさんいた。
自分の知らない人から話しかけられることも当たり前になっていたし、自分が周りの人にやたら褒められる、そういうのはそれまでの自分には味わったことのない感覚だった。
お世辞とかであってもそう言ってくれることだけでも十分嬉しかったし、中には本気で心から褒めてくれている人もいた。
その本気で褒めてくれた人は、バンドでやっている音楽そのものとかよりもむしろ、「本気で自分の好きなことをやっている」ことにえらく感動したらしいです。
やってる音楽がどうこうということよりも、そっちを褒めてくれた事は本当に嬉しかった。
あのバンドのおかげで知り合えた人は数知れないし、そのおかげで今の大事な友達も出来たと思う。
あのライブの時の自分の涙は、「やり遂げた!」という思いと、「これで終わってしまうのか…」という思いが両方あったように思う。
一つのことにあれだけ涙を流す程自分にとって大切なものはこの先他にできるのか?
自分のやりたいことをやってて、それを「いい」と褒めてくれる人がいるような、そんな夢のような状況になることはまたあるのか?
正直、全く自信がないです。
昨日の日記にも書いた通り、今の自分には夢もないし何かを必死で頑張ろうという思いがまるでない。
あの頃と違って、なんとなく毎日が流れて行くだけ。
こんなんじゃいつまで経っても、あれだけ充実した生活をまた送ることはできないんだろうな。
過去の栄光にいつまでもすがることは決していいことではないのはわかってますよ。
思い出を懐かしむのと、それにすがることは全く違いますよね。
でも…という感じなのですよ。あぁ…


何が書きたいんだよ、俺は。
ふじー * 書き留める * 21:23 * comments(0) * -

Embody the Invisible

「Embody the Invisible」
まあ、部活関係の人にはよく知られた言葉ですが。
これは、目に見えないものを具現化する、ってな意味ですが、例えば人の感情も目には見えない物の一つです。
人の中に湧き起こる感情が他の人に伝わるには、表情や言動などなんらかの行動があるからだと思うのです。
ということは、自分の中にある感情を外に出す時にはある程度のコントロールが可能な訳です。
常に人には感情が湧き起こるのは当然のこと。勿論いい面のもあれば嫌な面の感情も。
で、その湧き起こる感情に対していかに対処するか、それが大事なところやと思うんですよ。
嬉しかったり楽しかったりした時にそういう感情を素直に表現するのはいい事だと思うんです。
周りの人にもいい影響を与えることもありますしね。
しかし、腹が立っている時、機嫌が悪い時などそういった悪い面の感情がある時にはどうするべきか。
当然人それぞれ意見があるとは思いますが、自分はそういった感情はあまりむやみに表に出すべきではないと思うのです。
絶対に出すななんてそんなことは決して言いません。
誰にだってつらいときや嫌なときはあるし、それを気付いてほしくて知らず知らずのうちに感情が行動に表れてたり、どうしてもこらえきれなくなって爆発してしまう事もあるし、逆に自分の中で押さえつけすぎるのもそれはそれでよくないとは思います。
ただ、ストレートにそういうのを表に出した場合に周りの人や相手の人がどういう気持ちになるかを考えるべきだと思うし、子供じゃないんだからそれぐらい出来るのが当たり前だと思うんですよね。
自分は、常に周りの人の気持ちを考えられる人間になりたいと思っているから逆にそういう事が全く出来ない人間に対しては、こういうのはどうなのよ、と思ってしますのですよ。
こんな歳にもなって思ったことをそのまま表に出して、周りの人に嫌な思いをさせるようなそんなくだらねぇ人間にはなりたくない。そう思いました。

…おっさんの独り言ですよ。
ふじー * 書き留める * 05:01 * comments(0) * -
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